第一次世界大戦が後にもたらしたものとは

    

1.終戦

 

 19181111日。ドイツ革命の勃発によりドイツ帝国は終焉を迎え、

臨時政府の休戦条約調印により第一次世界大戦の幕は下ろされました。

ここまでの各国の戦争による被害は、

ドイツ181万人、ロシア170万人、フランス139万人、イギリス95万人という、

いまだかつてない多数の戦死者を出しました。

日露戦争で使った全弾薬の量を一週間で消費したと言われる第一次世界大戦では、

戦闘による被害ばかりではなく、軍需物資優先による物不足や、

軍需工場への女性の徴発などでますます国民の生活を圧迫しました。

 

(1)ヴェルサイユ体制と国際連盟の成立

 

19191月。パリ講和会議は「平和十四か条」を基本原則とし、

国際協調主義と、民族自決主義の実現を目指すはずでした。

しかし、当初から英・仏の激しい対独復讐心の中で、

結果的にはドイツにとって過酷な内容を持つヴェルサイユ条約を締結した。

そのヴェルサイユ条約のドイツに対する内容は、

@国際連盟の設立 

Aフランスへ、アルザス・ロレーヌ地方を割譲

Bポーランドへポーランド回廊を割譲 

Cザールを国際連盟の管理下に置き、帰属は15年後の住民投票で決定 

Dダンチヒを自由都市として国際連盟の管理下に置く 

E海外全植民地の放棄

F軍備を制限し、陸軍10万、海軍15千、艦艇36隻、潜水艦・軍用航空機の保有禁止

Gラインラントを非武装(ライン川右岸50kmの地帯を非武装)(※)

とし、左岸は連合軍が15年間保証占領 

 

※西部戦線を大戦当時ドイツ側は「ジークフリード線」、

フランス側は「ヒンデンブルク線」と呼んだ。

 

H多額の賠償金の支払い(※)

 

1921年4月、ロンドン会議で1320億金マルクと正式に決定。

しかしその後、ドーズ案で賠償金支払い期限の緩和、

ヤング案で358億金マルク、ローザンヌ会議で30億金マルクに減額された。

ドイツ人はこの条約を「命令」と呼んだ。

 

この条約はドイツ側の強い反感を買い、国際協調とは程遠いものとなった。

また、民族自決もヨーロッパの一部でしか実現することが出来なかった。

そして、この条約によりドイツ側は連合国側に多額の賠償金支払い、

軍備縮小、植民地の割譲などを余儀なくされました。

一方、1917118日のソビエト政府の「平和に関する布告」を受けて、

19181月アメリカ合衆国大統領ウィルソンが「平和十四か条」を議会へ教書の形で発表しました。

その際、「国際連盟の設立」により国際連盟が設立されましたが、

当のアメリカ自身が参加できないと言う状態でした。

 

2.第二次世界大戦へ

 

 ヴェルサイユ条約の締結によりヴェルサイユ体制が完成し、

軍縮への道を歩み始めたドイツでしたが、その為に国内の経済は破局的なインフレに見舞われ、

そして折りしも世界恐慌の世の中へ突入しました。

その後この体制を打破しようと立ち上がったのが、

ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)でした。

そして、時代はファシズムの台頭と第二次世界大戦へと突入しました。

航空機が再び活躍しはじめたのはこの頃からで、

それまでは民間旅客機と偽って水面下で戦闘機の開発を続けていたドイツでしたが、

1936年のスペイン内乱の際にドイツ空軍が北部バスク地方の町ゲルニカへ無差別爆撃をしました。

この際にスペイン出身のピカソが怒りを込めて描いた「ゲルニカ」は有名な作品です。

ここでまた航空機の話題へと戻りますが、第一次大戦後の航空機の流れとして、

木製、布製の飛行機から大戦末期にあらわれたセミモノコック製の全金属製単葉機へと機体が変わりました。

そして、第一次世界大戦後の20年間は技術上の多くの開発、発見がなされており、

その後第二次世界大戦中にプロペラ機の性能は頂点に達し、

ジェットエンジンを搭載したジェット機が戦闘機のみならず飛行機の主流となってゆきました。

 

3.現在 〜忘れられた戦争〜

 

そして第二次世界大戦が終結し現在にいたるわけですが、

第二次世界大戦の印象が余りにも大きかった為、

第一次世界大戦はしばしば“忘れられた戦争”と呼ばれます。

それは、第一次世界大戦と言う大事件があったのにもかかわらず、

それが無かった事のように再び戦いを繰り返してしまった事への忘却の悲劇のようなものを感じます。

ライト兄弟が人類初の飛行機による飛行を。

それからたった11年の間に航空機はめざましく発達しました。

加えて、航空機が果たす役割も大きく変わりました。

それと言うのも、第一次世界大戦の勃発によってです。

それから飛行機は戦闘に欠かせない兵器の一つとなり、

次の第二次世界大戦でも、ボーイングB−29、三菱零式艦上戦闘機などに代表される

レシプロ戦闘機が活躍した。そして、原子爆弾を搭載し、

ヒロシマ、ナガサキへ投下したのもこれらの飛行機でした。

そして終戦後、現在に至るまで航空機はまた様々な発展を遂げたのでした。

今日私たちが世界中の国々に行くことが出来るのも、航空機のおかげでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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