Bloody April(血の四月)
第一次世界大戦中、特に航空史上最も戦禍が激しかったとされるのが、
1917年4月。“Bloody April”(血の4月)と呼ばれる時期でした。
この時期はRAF(Royal Air Force 英国王立空軍)を初めとする
連合軍にとっては最悪の月であったといえます。
何故かと言うと、アルバトロスD−Vを主力とするドイツ戦闘飛行団
(4月30日の総機数686機、うちD.Vは327機)が猛威を振るい、
RAFはすでに3月中に120機を失っていましたが、
4月4日のアラースの戦いが開始されてから、5日間のうちにRAFは75機と乗員105人を失い、
攻撃作戦のために集めた第一線軍用機365機のうち、140期近くが4月前半に失われました。
この4月を通じてRAFとドイツ軍との損害比は5:1であったと言われます。
何故そのようなことが起こったのかというと、
生産中のS.E.5、ソッピース・キャメルなどの最新主力戦闘機は、
エンジン不足や、その前の1916年に起こったアイルランド蜂起により、
北アイルランドのリネン工場のストライキ、官僚主義などの不手際によって生産が上がらず、
戦線に間に合わなくて5月に入っても英軍機の損失が続きました。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||