フォッカーの懲罰(フォッカー・スカージ)
ドイツ軍航空部隊を代表する主力戦闘機であるフォッカー機シリーズは、
大戦当初からその生産数も機種も、アルバトロン機と並ぶ二大主力戦闘機でした。
そのフォッカー機が最も活躍した時期が1916年6月。
ちょうどこの頃、ドイツで最初に同調式機関銃を装備したフォッカー機が登場したのに加え、
大戦初期のエースであり、大戦前から飛行家であり、画期的な空中機動術である
「インメルマン・ターン」を生み出し、“空中戦闘の神様”、
“イーグル・オブ・リリー”と呼ばれたマックス・インメルマン。
世界初の戦闘航空部隊の発案、戦闘機乗りのためのマニュアル作成や、
“フライング・サーカス”の創始者であり、“戦闘航空の父”と呼ばれたオズワルド・ベルケ。
そして第一次世界大戦時最も高名なエースであるマンフレート・リヒトホーフェンなどの
一連のエース・パイロットがフォッカー機に乗って活躍したので、
まさに“敵無し”の状態になり「フォッカー・スカージ(フォッカーの懲罰)」として恐れられた時期でした。
それからフォッカー戦闘機の優位は1916年春までの約10ヶ月続きますが、
連合軍のニューポール11やD.H.2などの同調式機関銃を搭載した機体の投入により、
ようやくこの事態に歯止めをかけることとなったのです。
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