二つの革命

 

第一次大戦では、二つの国で大きな革命が起こっています。

ひとつは、1917年の帝政ロマノフ王朝から世界初の社会主義社会へと改革をしたロシア革命。

もうひとつは、1918年のキール軍港での水兵の反乱によって帝政が崩れ、

共和国が生まれたドイツ革命です。

革命と帝政の崩壊は、第一次世界大戦の残したもう一つの歴史的大事件でした。

 

(1)ロシア革命

 

第一次大戦前と大戦中、ロシアでは二度にわたり革命が起こっています。

先の革命は、日露戦争中の1905年に自由・戦争中止を求めてデモを起こした民衆を

憲兵の発砲で鎮圧した血の日曜日事件(第一次ロシア革命)。

その後、ドゥーマ(国会)が開設されたものの、これは地主や貴族の代表機関に過ぎず、

首相に任命されたストルイピンは強引な政策で秩序回復を目指す農業改革などの反動政治を行った。

しかし貧農の生活苦は改善されず、農民暴動が発生してかえって社会不安が増大しました。

そして、第一次世界大戦への参戦することよって民衆の目を戦争に向け事態の収拾をはかるが、

戦争の長期化が帰って国民生活を逼迫し、工場ストライキや農村暴動が起こりました。

そして二度目は、191738日に労働者が首都ペトログラード

(現在のサンクト・ぺテルスブルグ)でおこした大規模なストライキが三月革命の火蓋を切った。

これにより全国各地に革命の波が広がり、各地で労働者や兵士が革命の中心組織となるソヴィエト(委員会)を組織する。

これにより国会はニコライ二世を退位させ、ロマノフ王朝に変わる

ブルジョワ自由主義を掲げる立憲民主党中心の臨時政府を作った。(三月革命)

しかしその後、しばらく社会主義を目指すボリシェヴィキ(ソヴィエト)と、

反革命派のメンシェヴィキ(臨時政府)の“二重政権”状態が続いたが、

亡命していたレーニンが「四月テーゼ」でボリシェヴィキの基本方針を示し、

117日帰国したレーニン、トロツキーらが臨時政府を倒し、

武力で議会を解散させ他党を禁止し、プロレタリア独裁体制を築き、ソヴィエト政権が誕生した。(十一月革命)

 

(2)ドイツ革命

 

 大戦末期の19183月、ドイツはロシアの革命政府と単独講和を結び、

戦況の巻き返しを図ったが失敗。そして、その年の秋にはドイツ以外の同盟国は降伏しました。

1029日、ドイツの戦争遂行能力はほとんどなかったにもかかわらず、

軍上層部は北海に面した軍港ヴィルヘルムスハーファン沖にドイツ西洋艦隊を集結させ、

イギリス艦隊との決戦をもくろみました。

しかし、これに疑問をもった水兵らが反乱をおこし1000人余りが逮捕されました。

これを聞いたキール軍港の水兵の暴動を機に、114日反乱が広がり、

皇帝ヴィルヘルム二世は退位、オランダへ亡命しドイツ帝国は終焉し、ドイツ共和国が誕生しました。

そして、臨時政府が休戦条約に調印して戦火は収まり、第一次世界大戦の幕が下ろされたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

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