テスト・パイロットへの道

 

 

ドイツ・グライダー研究所(DFS

南米への研究旅行から帰国後の1935年、ハンナはゲオルギー教授が所属し、

ハンス・ヤーコブスが所長を務めるドイツ・グライダー研究所

der Deutschen Forschungsanstalt für SegelflugDFS)に入る事となった。

1907年に設立してまだ間もないこの研究所での研究は多岐にわたり、

ハンナがテスト・パイロットとなった滑空の為の研究部や、

気象学研究部門もあり、新型のグライダーの設計と開発をする部門などがあった。

ここで彼女は敗戦時までこの研究所のテスト・パイロットとして務める事となる。

その後フィンランドへの研究旅行に参加し、現地でスポーツグライダーを指導する。

この研究旅行は大成功で、航空省より表彰をされる。

     

DFS所長で設計者のハンス・ヤーコブス           打合せをするハンナ

 

この事からハンナは更に大きな飛行機の操縦ライセンスを取得する為、

シュテッティンにある飛行学校へ行くこととなった。

しかしこの頃の飛行学校は、軍事目的に作られたものが主で、

軍隊式の完全なる男性社会であった。ハンナは持ち前のバイタリティーと情熱で

無事に課程を終えライセンスを取得したのであった。

 

リスボン国際航空デイ

 

ポルトガルで行われるこの国際的な一大イベントに、

ハンナはドイツ代表として参加するため、外国を三カ国通って会場に向かうこととなる。

しかし、この頃からヨーロッパ国内の関係は緊迫したものとなりつつあり、

自国以外の場所に下手に不時着できない状況であった。

スイス経由でフランスへ向かう際、悪天候に見舞われ止む無く不時着する事となった。

ところが、運悪く降り立ったそこはフランス軍の基地の飛行場であり、

更に悪い事に同乗者の滑空士が携帯禁止のカメラを持っていたため、

スパイと疑われて取調べを受ける事となる。

グライダー後部座席に乗ったハンナ

 

しかし、あるフランス兵のお陰で大使館に電話で事情を説明し、

何とか無事にリスボンへ向け再び飛び立つ事が出来た。

その後も給油の際に財布を無くしたり、この同乗者のお陰で散々な目に遭っている。

なんとも間抜けな同乗者の為に散々足を引っ張られたようだ。

その他、イベントのアトラクションで牢獄へ入れられ裁判を受けたり、

帰りのパスポートを間違えられたりと色々と波乱な旅となったようだ。

しかしここで、かの有名な巨大飛行船ヒンデンブルク号とも遭遇している。

思う存分飛行も出来たようであるし、そう悪くはない旅であっただろう。

 

危険なテスト飛行に挑む

 

 先に述べたようにDFSでのハンナの役割はテスト・パイロットであり、

新型機の搭乗だけではなく、従来機の欠陥・性能改善や事故原因解明の為に飛ぶ事もある。

今だ飛行した事のない未知の機体に乗ることに加え、

舵の効きや操縦装置の具合といった微妙なものまで、

危険に満ちたものであると同時に、繊細な感覚と職人的な勘が必要な作業なのである。

そんな事から、ハンナはどのパイロットよりも一足先に最先端機に乗っていた事になる。

 しかしこのテスト・パイロットになった経緯も偶然の出来事であり、

研究所のテスト・パイロットになる予定であった人物が重病になった為、

その代わりでハンナがこの役を引き受けたのである。

その主な搭乗機はグライダーであった。しかしただ搭乗するだけではなく、

自ら工場へ足を運び航空機が作られる工程から綿密にチェックしていたという事だ。

 

話は少々それるが、ハンナは身長が154センチ足らずで、とても小柄であった。

ハンナに限らず当時のパイロットの身体基準は、

良い裸眼視力に加え小柄である事が条件とされていた。

機体の軽量化や武器搭載の為には小柄である方が有利なのである。

 

ある時、急降下制動器(急降下時の加速による空中分解を防ぐ装置)を使ったテスト飛行の様子を

空軍技術局長のエルンスト・ウーデット、フォン・グライム将軍をはじめとする

空軍の高級将校たちが見学に訪れた。そして、この新発明の装置をいたく気に入り、

将来は軍用機への応用もできるに違いないと考えた。

(この制動器は実際にユンカースJu87急降下爆撃機に採用されている)

 

アルプスを越える

 

 1937年、ザルツブルクでエンジンを使わない飛行の

国際研究委員会(ISTUS)がゲオルギー教授の呼びかけで開催された。

アルプス横断を果たした“シュペルバー・ジュニア”号と

 

 同時に国際グライダー大会も催され、

目的への飛行や長距離飛行、滑空競技などの競技会が開かれた。

ハンナはここでアルプス横断飛行という偉業を成し遂げている。

厳しい寒さや途中何度も下降気流にのまれながらも、

アルプスの山々の壮大な自然の景観を目の当たりにした。

そしてハンナは、イタリア山中の兵舎のグラウンドに無事着陸を果たした。

 

 

 

 

 

    HOME   NEXT

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送